LOGIN気が済むまで叫んだ恋〈レン〉が、何度もまばたきしながら子猫を凝視する。
この子猫……今、喋ったよね。
そんな恋を見て、子猫はもう一度かわいく鳴いた。
* * *
遡ること数時間前。
今日こそ蓮〈れん〉くんと。 そう意気込みながら、いつもの神社に着いた時だった。 恋の大きな瞳に、軒下で震えている子猫の姿が映った。「どうしたのかな、あの子」
駆け寄った恋は、子猫をそっと抱き上げた。
「大丈夫? 子猫ちゃん、どうしたの?」
恋の問い掛けに、子猫は微かに目を開くと、弱々しい声で鳴いた。
「この子震えてる……蓮くん、どうしよう」
「呼吸が弱くなってるし、病気なのかも。病院に連れて行った方が」
「だよね……でもその前に」
恋は子猫を膝に置くと、買っておいたミルクを掌に注いだ。
「ひょっとしたらこの子、お腹が空いてるのかも知れないから」
そう言って手を向けると、子猫は鼻をひくひくさせた。そして口を開けると、舌で掌のミルクを舐めだした。
「蓮くん! 見て見て! やっぱりこの子、お腹が空いてたんだよ!」
恋が嬉しそうに声を上げる。その笑顔に蓮は赤面し、「う、うん……そうみたいだね……」そう言ってうつむいた。
ミルクを舐める舌の動きが、力強くなっていく。そして最後の一滴を舐め終わると、ゆっくりと体を起こして体を振った。
「やった! 子猫ちゃん、復活した!」
歓喜の声を上げて子猫を抱き締める。
「よかったね、元気になって」
そう言ってもう一度膝の上に置くと、子猫は恋の手を舐め、元気よくジャンプして地面に降り立った。
そして二人を見てもう一度鳴くと、その場から走り去っていった。「行っちゃったね……でもよかった」
子猫の行った先を見つめながら、恋が微笑む。
その笑顔に蓮は見惚れ、そして静かに決意したのだった。
* * *
「さっきは本当にありがとう、恋ちゃん」
子猫がそう言って目を細める。
「猫と話してる……何で? 私今日、変な物でも食べた?」
「恋ちゃんは変じゃないよ。突然猫に話しかけられたんだ、驚いて当然だよ」
「……あなた、本当に猫?」
「いいところに気付いたね。うんうん、少し落ち着いたみたいでよかった」
「よかったも何も、こうしてあなたと話してるんだし……よく分からないけど、受け入れるしかないでしょ」
「あははっ、確かにそうだね。でも、切り替えが早くてよかったよ。あのままずっとパニックになってたら、僕も立ち去るしかなかったからね」
「お礼を言いに来たって言ったよね」
「うん。本当に助かったからね。元々僕たちは、そんなに食事を必要としない。食べなくても活動に支障はないんだ。でもたまに補充しないとエネルギー不足になって、さっきみたいなことになっちゃうんだ」
「と言うことはあなた、猫じゃないのね」
「そうだね、猫じゃない。君たちに分かるように言うなら、精霊ってところかな」
「精霊……」
「世の理〈ことわり〉を維持する為に見守っている者。こう言った方がいいかな」
「神様ってこと?」
「違うよ。僕らは言うなれば、神様の仕事を手伝う存在」
「……脳が追い付かない」
そうつぶやいた恋がうつむき、肩を震わせた。
「恋ちゃん?」
「駄目だああああっ! 脳が、脳が追い付かないいいいっ!」
そう叫んだ恋は枕に顔を押し付け、何度も何度も「きゃー! きゃー!」と声を上げた。
* * *
「……落ち着いた?」
「うん……ごめんね。私ってば、キャパを超えるとこうなっちゃうんだ」
「あははっ、それはまた変わった癖で」
「それで? あなた、名前は何て言うの?」
「れ、恋ちゃん……切り替えが早いんだね」
「だって、どれだけ否定しても猫と話してるのは本当だし、そんなあなたが言うんだから、精霊なんでしょ。理解は出来ないけど、納得するしかないじゃない」
「ま、まあ、そうだね……ずっとパニックになられてても困るし……僕はミウって言うんだ」
「ミウちゃんか。かわいい名前だね」
「ありがとう、恋ちゃん」
恋の言葉に気を良くしたのか、ミウと名乗った子猫がそう言って一声鳴いた。
「それで? ミウはどうしてここに来たの?」
「さっきも言った通り、助けてもらったお礼がしたくてね」
「お礼だなんて、そんなのいいっていいって。ミルクなんて安いものだし」
「でも恋ちゃんに会ってなかったら、今頃僕は消えていたかもしれないんだ」
「そうなの?」
「うん。さっきも言った通り、僕たちは滅多に食事をしなくていいんだ。でも、だからといって必要ない訳じゃない。エネルギーが底をついたら、僕たちはこの世界から消えてしまう」
「そんな大事なことなのに、あんな風になるまで放置してたんだ」
「いや、あははっ……滅多に摂取しないから、ついつい忘れちゃうんだよね。それで気付いた時にはもう動けなくて。そんなこと、よくあるんだ」
「精霊のイメージがどんどん崩れていく……ミウって、ひょっとしてドジ?」
「言わないで、それは言わないで」
「あはははっ。それでわざわざ来てくれたのね、ありがとう」
「それでね、もしよかったらお礼をさせてほしいんだ」
「そんなのいいってば。こうしてお礼を言いに来てくれただけで十分だよ。それにね、今日はいいことがあったんだ。今の私はハッピー全開、これ以上ないってぐらい幸せなんだ」
「それってキスのことかな」
「えっ! ミウ、見てたの?」
「うん。ごめんね」
「誰にも見られてないって思ってたのに……きゃー! きゃー!」
またしても枕に顔を埋める恋。そんな彼女に、やれやれと言った表情でミウが首を振る。
「……あのキスだって、ミウのおかげかもしれないし」
「そうなのかい?」
「うん。だってあの後すぐだったもん。キスされたの」
「きっと、恋ちゃんの優しさにときめいたんだね」
「そうなのかな……ふふっ、そう言われると恥ずかしいな」
「大好きな人とキス出来て、幸せな恋ちゃん。確かにこれ以上何もいらないのかもしれないね。でも、それだと僕の気が済まない。僕にも精霊としてのプライドがあるからね」
「プライドかぁ……でもそう言われちゃったら、断るのも悪いよね」
「うんうん、何かないかな。どんなことでもいいよ。なんでも一つだけ恋ちゃんの願い、叶えてあげる」
「うーん……」
恋が天井を見つめて考える。
「願い……一つだけ、私の願い……」
そしてふと、何かを思いついたようにうなずくと、ミウを見てにっこり笑った。
「ふふっ……ねえミウ。私、思いついちゃったかも」
「うんうん、何かな」
「私、見てみたいものがあるんだ」
「いいよ、何だって叶えてあげる。何が見たいのかな」
「私と……私と蓮くんの未来。二人の未来の姿、見てみたい!」
二階建の古びた文化住宅。 それが恋〈レン〉の初めて見た光景だった。「……何て言ったらいいのかな。中々趣のある建物で」 隣にあるコインランドリーの窓ガラスで、自分の姿を確認する。 制服姿だった。「ま、まあ、これはこれで……10年後の蓮〈れん〉くんへのご褒美ということで」 そう言って苦笑いを浮かべる。 その時、ミウの声が聞こえた。「無事、到着したみたいだね」「ミウ? よく分からないけど、ここが10年後の未来なんだよね。今とあんまり変わってない感じだけど、まあ10年ぐらいだったらこんな物なのかな」「それもあるんだけど、説明してなかったね。ここでの恋ちゃんの目的は、あくまでも未来の君たちを見ること。だから恋ちゃんのいる時代になかった物とか、変わってる物。そういうのは自然と受け入れられるようにしてるんだ。例えば携帯電話とか、かなり変わってるよ。でも恋ちゃんは、それを当たり前に使うことが出来る。その方が、目的を果たす上でいいと思ったからね」「そうなんだ。色々気を使ってくれてありがとね。それでミウ、今どこにいるの」「僕のことは気にしないで。さっきも言った通り、僕はずっと恋ちゃんを見守っている。困ったことがあったらサポートもする。でも基本、恋ちゃんの前には現れないつもりだから」「そうだったね。私ってば、もう忘れてたよ」「あははっ。それと恋ちゃん、僕と話す時、声を出す必要はないからね」「そうなの?」「うん。僕の声、恋ちゃんの頭に直接響いてると思うんだ。恋ちゃんも僕と話す時、頭に思い浮かべるだけで大丈夫だから」「……またすごいことを聞いたような……でも分かった。ミウがそう言うんならそうするね」「ありがとう、恋ちゃん」「それでミウ、ここはどこなのかな。私の街じゃなさそうだけど」「蓮くんと会いたいって言ってたからね、一番早く会える場所に連れて
「……」 動かないミウを見て、恋〈レン〉は少し心配になってきた。「ええっと、これって……まさか死んじゃった、とかじゃないよね」 そうつぶやき見守っていると、やがてミウの体が小さく動いた。「あ、動いた……ミウ? 大丈夫?」 ミウが顔を上げ、一声鳴く。「いい感じの時間軸があったよ。今から10年後」「10年後、27歳かぁ……あ、でもちょっと待って。ミウってば今、何をしてたの?」「恋ちゃんの希望に沿える未来を探す為に、別の時間軸の僕と意識をリンクしてたんだ」「リンク?」「簡単に言えば、未来を見てきたってこと」「未来をって……すごいことをさらっと言われたような」「あははっ、深く考えなくていいよ。とにかく恋ちゃんの望みに応えられる、ふさわしい時間軸だと思う」「そうなんだね。ありがとう、ミウ」「それでね、行く前に説明しておくことがあるんだ」「うん。まずは着替えよね」「それは大丈夫、着替えなくても問題ないから」「そうなの? 私、寝間着のままで未来に飛ぶの? 流石にこのままじゃ、恥ずかしいと言うか何と言うか」「恋ちゃんは今から未来に行く。でも厳密に言えば、恋ちゃん自身が行く訳じゃないんだ」「よく分からない」「簡単に言えば、恋ちゃんの姿と意識、情報をコピーして10年後の世界で再構築するんだ。だから今の恋ちゃんの体はここに残るし、服装は……僕がうまくしておくよ」「また……すごいことをさらっと」「難しいだろうから理解しなくていいよ。とにかく恋ちゃんは、10年後の世界に行けるんだ」「うん、ミウがそう言うんなら分かった」「ありがとう。それで向こうに着いてからのことなんだけど、恋ちゃんの姿を認識出来るのは二人、未来の恋ちゃんと蓮〈れん〉くんだけだから」「二人だけ?」「そうでないと、ややこしくなっちゃう。突然10年前の恋ちゃんが現れたら、他の人も驚くだろ?
「恋ちゃんと彼氏くんの未来が見たいと」「うん、そう」 ミウを見つめる恋の瞳は、キラキラ輝いている。「私たちってね、子供の頃からずっと一緒だったんだ。親も仲がいいし、お互いの家にお泊まりとかもよくしてたの。 私はずっと、蓮〈れん〉くんのことが好きだった。蓮くんってね、いつも本ばっかり読んでいて、友達もいなかったんだ。外で遊ぶこともあんまりなかった。 でもね、私がお願いしたら一緒に遊んでくれるの。それがすごく嬉しくて……いつの間にか蓮くんのこと、好きになってた。 いつか付き合いたいって思ってたけど、でもほら、こういうのって女の方から言うのも恥ずかしいじゃない? だから私、ずっと待ってたの。蓮くんに告白されるのを」 瞳を爛々と輝かせてまくし立てる恋に、ミウは苦笑した。「半年前、ついに願いが叶った。蓮くんが告白してくれたの。そりゃもう、あの蓮くんだからね、分かるでしょ? 顔真っ赤にして、何言ってるのか聞き取れないぐらいぼそぼそと、なんだけどね」 いやいや僕、蓮くんのこと知らないし。ミウが心の中で突っ込んだ。「でもね、それでも嬉しかった。蓮くんが勇気を振り絞って告白してくれた。涙まで浮かべて、必死になって私に伝えてくれた。 その姿を見てね、私、ちょっとだけ後悔したの。こんなに大変なことなんだったら、私の方から告白しちゃえばよかったって。男だとか女だとか言う前に、自分の気持ちに正直になっていればよかったって」「まあ一理あるかな。人間の社会ではそういう役割、男の方がするみたいだけど、女の方から求愛する生物もいることだし」「でも嬉しかった。だから私、その場で蓮くんに抱き着いちゃったの。そして『私でよければお願いします』って言ったんだ」 そう言ってまた枕に顔を埋め、「きゃーきゃー」と声を上げる。「……その時ね、蓮くん言ってくれたんだ。『僕は恋を大切にする。恋が嫌がることは絶対にしない』って。それでもう、私の心臓は打ち抜かれた訳なのよ」「そして今日、その蓮くんとついにキスをした」「きゃー! きゃー!」
気が済むまで叫んだ恋〈レン〉が、何度もまばたきしながら子猫を凝視する。 この子猫……今、喋ったよね。 そんな恋を見て、子猫はもう一度かわいく鳴いた。 * * * 遡ること数時間前。 今日こそ蓮〈れん〉くんと。 そう意気込みながら、いつもの神社に着いた時だった。 恋の大きな瞳に、軒下で震えている子猫の姿が映った。「どうしたのかな、あの子」 駆け寄った恋は、子猫をそっと抱き上げた。「大丈夫? 子猫ちゃん、どうしたの?」 恋の問い掛けに、子猫は微かに目を開くと、弱々しい声で鳴いた。「この子震えてる……蓮くん、どうしよう」「呼吸が弱くなってるし、病気なのかも。病院に連れて行った方が」「だよね……でもその前に」 恋は子猫を膝に置くと、買っておいたミルクを掌に注いだ。「ひょっとしたらこの子、お腹が空いてるのかも知れないから」 そう言って手を向けると、子猫は鼻をひくひくさせた。そして口を開けると、舌で掌のミルクを舐めだした。「蓮くん! 見て見て! やっぱりこの子、お腹が空いてたんだよ!」 恋が嬉しそうに声を上げる。その笑顔に蓮は赤面し、「う、うん……そうみたいだね……」そう言ってうつむいた。 ミルクを舐める舌の動きが、力強くなっていく。そして最後の一滴を舐め終わると、ゆっくりと体を起こして体を振った。「やった! 子猫ちゃん、復活した!」 歓喜の声を上げて子猫を抱き締める。「よかったね、元気になって」 そう言ってもう一度膝の上に置くと、子猫は恋の手を舐め、元気よくジャンプして地面に降り立った。 そして二人を見てもう一度鳴くと、その場から走り去っていった。「行っちゃったね……でもよかった」 子猫の行った先を見つめながら、恋が微笑む。 その笑顔に蓮は見惚れ、そして静かに決意したのだった。
「私……キスしたんだ……」 * * * 夢の中にいるようで、頭がふわふわしていた。 ――胸の鼓動がおさまらない。 泳いだ後の様に重い体。脱力感が半端ない。 それなのに足取りは軽やかで、そのまま宙に浮いてしまいそうな。 不思議な感覚だった。 赤澤花恋〈あかざわ・かれん〉。高校2年の17歳。 夏休み前、終業式の今日。 いつものように幼馴染の同級生、黒木蓮司〈くろき・れんじ〉と寄り道をした。 子供の頃からずっと一緒だった二人。名前に「レン」が入っている二人は、互いのことを「レン」と呼び合い、その仲睦まじい姿は近所でも有名だった。 近所にある人気のない神社。 付き合い始めて半年になる二人は、学校帰りにいつもここに来ていた。 他愛もない日常の出来事や愚痴を話し、互いの気持ちを共有する。 とは言え、話すのはいつも恋〈レン〉の方だった。 無口な蓮〈れん〉は恋の話を聞き、静かに笑ってうなずいていた。 しかし今日。 蓮の様子が少し違っていた。 いつもの様にオチのない話を続ける恋も、その様子に気付き声をかけた。「ちょっと蓮くん、聞いてる?」「う、うん、聞いてるよ」「ほんとに? だったら京ちゃんが何したか言ってみてよ」「……ごめん、分からない」「ほらー。もう、どうしちゃったのよ。今日の蓮くん、ちょっと変だよ。もしかして具合でも悪い?」「そんなことは」「ほんとに?」 そう言って蓮の額に手を当てると、少し熱く感じた。「熱、ある? 帰る?」 心配そうに蓮の顔を覗き込む。 その時だった。 額に当てられた手を蓮がつかみ、そのまま握り締めた。「…&hellip